投稿者: arigatou

  • 第20話

    第20話

    「電験三種」と現場のリアル:理屈を追い求めた半年の記録

    ビル管理の現場において、電気は切っても切れない存在です。今の建物は電気が止まればただの箱。多くのビルは電気保安協会などの専門機関が管轄していますが、トラブルの際に彼らがすぐに駆けつけられるとは限りません。

    現場の責任者として、不測の事態に「何も分かりません」では話にならない。その危機感から、私は電気分野の知識習得に励みました。その過程で挑んだのが「電験三種(第三種電気主任技術者)」です。

    正直、これまでの資格は1ヶ月か2ヶ月もだらだら勉強していれば取れるレベルのものでした。しかし、電験だけは勝手が違った。難しいことは最初から分かっていましたが、「なぜそうなるのか」という理屈が腑に落ちないと気が済まない性格もあり、この時ばかりは半年間、腰を据えて勉強と向き合うことになりました。

    「理屈がわかっていないと、正しいオペレーションは取れない。たとえ実務で使う機会が限られていても、中身を知らずに運用することは私には許せなかった」

    ただ、苦労して資格を取ったからといって、現場でその高度な理論を振るう機会が毎日あるわけではありません。むしろ、せっかく身につけた知識も、実際のオペレーションで活かせる場面は意外なほど限られていました。

    それでも、電気の理論を紐解いた経験は無駄ではありませんでした。電気という「核」を理解したことで、空調、給排水、消防設備といった他の設備も、すべては一つの巨大なシステムを構成する断片に過ぎないと気づけたからです。

    「資格マニア」になりたかったわけじゃない。 ただ、現場で自分の足で立ち、何が起きているかを自分の頭で判断したかった。そのための「根拠」を求めた結果、気づけば手元に数えきれないほどの免状が積み上がっていた。それが、職人としての私の戦い方でした。

    こうして手に入れた「技術」と、並行して続けていた「投資」。 この両輪が、やがて私を「組織からの解放」へと導くことになります。

  • 第19話

    第19話

    入社1年目の所長就任:積み残された課題と業者との対峙

    現場の空気というのは正直なものです。 本来の所長を飛び越えて、私に直接お客さんから相談が来る。そんな状態が続けば、組織としてのバランスは崩れます。会議に呼ばれるのも私、頼られるのも私。

    結局、お客さんからの要望もあり、入社して1年足らずで私が「所長」を引き継ぐことになりました。前任の所長は現場のボイラー運転員に戻るという、異例の交代劇でした。

    腰掛けのつもりで入った世界で、いきなり「現場の顔」として責任を負う立場になった私を待っていたのは、想像以上にずさんな現状でした。特に、行政関係や消防関係の届け出・手続きが全く片付いておらず、まずはその「積み残し」を一つずつ処理することから始めなければなりませんでした。

    「専門業者といえども、提案がコストに見合っていなかったり、作業が手抜きだったりすることも珍しくない。それを見逃せば、最後には私の責任になる」

    業者は自分たちの都合や利益を優先して提案してきます。しかし、現場の予算も設備の寿命も有限です。コスパを無視した過剰な提案や、逆に手間を惜しんだ手抜き作業。それらを見抜き、ダメ出しをして正していくのが私の仕事になりました。

    「このままでは、業者の言いなりで現場の質が落ちていく。自分がもっと詳しくなって、彼らの理屈の穴を埋めるしかない」

    現場の責任者として、何かあれば「業者のせいです」では済まされません。行政への不備も、業者のミスも、すべては私の管理不足として問われます。この逃げ場のない実務上のプレッシャーが、私を知識習得へと向かわせました。

    「騙されないためには、実務の裏側にある理屈を知るしかない」 こうした日々の不備や業者とのやり取りをこなしていく中で、より深い知識の必要性を感じ、私は『電験三種』などの試験にも取り組むことになったのです。

    ここから、日々の現場対応と並行して、電気理論を学び直す時間が始まりました。

  • 第18話

    第18話

    「資格の横展開」と、機能不全のリーダーシップ

    ビル管理業界への潜り込みも、一筋縄ではいきませんでした。なにしろ、リーマンショック後の就職難です。 けして待遇が良い業界ではありません。それでも当時は一人の非正規募集に対して、5人から6人が殺到するような超買い手市場。

    その中で、30代半ばという若さと、訓練校で揃えた資格が功を奏し、なんとか採用を勝ち取りました。

    この業界の良いところの一つは、給料を上げたければ、資格を取ればいい。それを使うかどうかは二の次で、まずは形にする。私は入社後、猛烈な勢いで資格を取りまくりました。

    「一つ核となる資格を取れば、他はすべて繋がっていく。電気の知識は消防設備へ、材料の知識はボイラーへ。知識の『横の繋がり』が見えた時、試験はただの確認作業に変わった」

    消防設備士なども含め、科目免除をフル活用して網羅していく。工学の基礎さえあれば、設備系の資格は面白いように繋がります。この「知識を体系化する」快感は、大工仕事で感じた「上達の喜び」と同じ種類のものでした。

    しかし、現場の人間関係はそう合理的ではありませんでした。 当時の現場所長が、お世辞にも優秀とは言えなかったんです。機械のオペレーターとしては普通で真面目に長年勤務されたという点は、評価すべき人でした。

    ですが、元営業職だという割には口下手で、客先との折衝も見ていられないほど下手くそ。自分が電話をかけておきながら、何を伝えたいのかも要領を得ない。客を激怒させることもシバシバ。

    本来、所長の仕事は、現場のトラブルを対外的にとりまとめ、収束させることです。技術的な運転は部下に任せればいい。しかしその一番肝心なことができない。 結局、入社したばかりの私のところに、客先からの相談やトラブルの対応が回ってくるようになりました。

    「規約では所長を通せ」となっていても、それでは仕事が前に進まない。 不条理だとは思いつつも、私は現場の泥臭い調整を肩代わりすることになりました。 でも、この「技術」と「交渉」の両輪を回した経験が、私を単なるオペレーターではない、真の『設備管理のプロ』へと押し上げてくれたのも事実です。

    そんな日常の中、私は着実に資格の山を築いていきました。 実務で使う機会は乏しくとも着実に、知識経験は蓄えられていく感覚はありました。

  • 第17話

    第17話

    戦略的ビルメン転身:自由時間と「4種の神器」を求めて

    工場の派遣で資金を蓄えながら、私は次なるステージを見定めていました。 当時、私は投資(相場)の面白さに味を占めていました。毎年利益が出るようになり、「これを主軸にできる環境を作ろう」と考えたんです。

    そこで白羽の矢を立てたのが、ビル管理(ビルメン)の世界でした。 24時間勤務、そのうち仮眠が6時間。1回出勤すれば2日働いたことになり、週の半分以上を自由に使える。肉体労働の現場から見れば、膝への負担も少なく、相場を張る時間も確保できる。まさに私の理想の環境でした。

    「資格さえあれば、この業界は鉄板だ。半年間の職業訓練で、必要な武器をすべて揃えてやる」

    ネットで調べると、ビルメンの「4種の神器」という言葉が出てきました。 第2種電気工事士、危険物乙4類、ボイラー2級、冷凍機械責任者3種。 学生時代から試験勉強には自信がありました。「半年あれば全部取れる」と確信し、私は再び職業訓練校の門を叩きました。

    このタイミングが、我ながら絶妙だったんです。 世間がリーマンショックに揺れ、「派遣切り」がニュースを賑わす直前でした。もし動き出すのが少しでも遅れていたら、訓練校の倍率は跳ね上がり、入ることすら難しかったでしょう。

    運がいいのか悪いのかは分かりません。でも、そのまま工場に居続けても、私は無職になっていたはずです。 嵐が来る直前に、私は新しい技術と資格という「盾」を手に入れるための潜り込みに成功しました。

    不況を嘆くのではなく、不況を利用する。 社会のレールから外れた私にとって、国家資格は唯一の「裏切らない通行証」でした。 この時揃えた「4種の神器」が、後に多くの資格取得に繋がっていきます。

    さて、無事に資格を手に入れ、ビル管理の世界へ飛び込んだ私。 そこには、これまでの現場とはまた違う、奇妙で奥深い「ビルの裏側」の日常が待っていました。

  • 第16話

    第16話

    夜勤の不条理と「投資」への目覚め:格差社会へのカウンター

    工場の派遣として働き始めて、まず痛感したことがあります。 「人間は、夜は寝るもんだ」ということです。 私はライン作業ではなく、部品の運搬や手直しを担当していたので、多少は融通が利きましたが、それでも夜勤は体に堪えました。年がら年中、体がだるい。社会のインフラを維持するために夜通し働いてくれている方々には、今でも本当に頭が下がる思いです。

    そして、現場で嫌というほど見せつけられたのが「格差」です。 不況の煽りを受け、仕事がないからと必死に働く中高年の方々。非正規の人間の方がいい仕事をしている場面なんて、いくらでもありました。それでも、ボーナスも特典もあるのは正規雇用の人間だけ。

    「社会は理不尽だ。真面目に働くだけでは、この構造からは抜け出せない」

    そう悟った私は、稼いだ金の使い道を変えました。 例えば月々の生活費を10万円に抑え、残りの20万円を投資に回す。 正規雇用の連中が手にする「安定」という幻想に対抗するために、私は「資本」を積み上げる道を選んだんです。

    もちろん、負けることもありました。でも、働いて得る給料とは別の「投資」という世界の存在を知ったことで、私の中でお金の価値観が劇的に変わっていきました。 「労働」だけが富を生む手段ではない。この気づきが、後のFIREを実現させるための重要なピースになったのは間違いありません。

    理不尽な待遇に文句を言うだけでは何も変わらない。 工場の単調な作業の裏で、私は着々と「自分の力で生き抜くための軍資金」を蓄えていました。 身体を壊す前に、この場所を抜け出すための準備。それが、私の20代後半の密かな戦いでした。

    しかし、どれだけ金を積み上げても、身体は正直でした。 かつての交通事故で痛めた膝が、悲鳴を上げ始めたんです。 「このままでは人生が詰む」 その直感が、私をさらなる国家資格への挑戦へと駆り立てました。

  • 第15話

    第15話

    戦略的撤退:工場の夜勤派遣と「牙を研ぐ」時間

    講師としての任期を終えた私を待っていたのは、凄まじい建築不況でした。 20代後半、まともな実務経験もない人間を、ま当な待遇で受け入れてくれる現場なんてどこにもない。それが当時の、偽らざる現実でした。

    けれど、私の中には不思議と絶望はありませんでした。 むしろ、「大工修行」と「講師経験」を通じて得た、一つの確信があったんです。

    「自分は、やればできる。この手応えさえあれば、必ずここから再起が図れる」

    今すぐやりたいことが仕事にできないのなら、まずは経済的な余裕を作ろう。そう割り切りました。 もちろん、その仕事を一生続ける気なんてサラサラありません。あくまで「数年で金を貯める」と期限を決め、私は工場の派遣社員という道を選びました。

    選んだのは、過酷な夜勤のある現場。月収30万ほどにはなりましたが、それは文字通り、自分の時間と肉体を削って手にする金でした。

    周囲から見れば、またフラフラと職を変えているように見えたかもしれません。 でも、私の中では明確な「戦略」がありました。 金を貯め、その間に次の武器を仕込む。あの倉庫生活や、会社の夜逃げを生き抜いてきた私にとって、工場のルーチンワークは「牙を研ぐための潜伏期間」に過ぎなかったんです。

    「非正規でいい、工場の派遣でいい。ただし、魂まで売ったわけじゃない」 単調なライン作業の中で、私は常に「次の一手」を考えていました。 この時期の肉体的な無理が、後に膝の古傷を悪化させることになるとは思いもしませんでしたが……。

    工場の夜勤で金を貯めながら、私は次の戦場を見定めていました。 それが「電気・設備」という、理論と現場が高度に融合する世界への扉でした。

  • 第14話

    第14話

    「生徒」から「先生」へ:人生初の抜擢と、教育という原点

    夢中で鑿(のみ)を研ぎ、木を削り続けた1年間。修了の時期が近づいた頃、私に思いもよらない話が舞い込んできました。

    当時、教えてくれていた講師の方が二人、同時に辞められることになったんです。正規の新しい先生が決まってはいたのですが、その方は現場の責任者。今抱えている現場が終わるまでは、どうしても動けないという状況でした。

    「お前、次の就職が決まっていないんなら、つなぎで非常勤講師をやらんか?」

    正規の先生たちが困り果てた末に、私に声をかけてくれたのです。 「今年習ったことをそのまま教えればいいから。お前ならできるだろう」と。

    「待遇なんてどうでもよかった。ボロボロの履歴書を抱えた私に、県が『教えてくれ』と頼んできた。そのことが、何よりの誇りでした」

    即答で引き受けました。完全に特例です。私は職業訓練指導員資格は所有しておりません。 こうして3ヶ月間、私は非正規の講師として教壇に立ち、実習場を駆け回ることになりました。同じように就職を目指し、新しく入ってきた生徒たちに、自分が学んだ技術を伝える。

    人生で初めて「人に指導する」という経験をしたこの時期のことは、今でも鮮明に思い出します。 自分が苦労して掴んだ「研ぎの感覚」や「段取りのコツ」を、どうすれば相手に伝えられるのか。それを模索した3ヶ月間こそ、今の私の原点です。

    武術を伝え、DIYを教え、AIの活用法を説く。 今の「DIY・AI研究所」の活動の根底には、あの実習場でカンナ屑にまみれながら、必死に言葉を紡いでいた若き日の私がいます。

    一度は社会から「不要」だと突き放された人間でも、技術を磨けば、必要とされる場所がある。 その手応えが、私の折れかけていた心に火を灯してくれました。

    しかし、この「講師生活」もあくまで期間限定。 3ヶ月が過ぎ、任期を終えた私を待っていたのは、再びの「不況」という高い壁でした。

  • 第13話

    第13話

    「学ぶ」とはこういうことか:大工修行で知った身体的歓喜

    職業訓練校というのは、不思議な場所でした。 高校に行けず親に連れてこられた少年、将来を見据えた若者、そして私のように会社倒産で滑り込んだ人間や、雇用保険の延長が目的の中高年。多種多様な背景を持つ人々が、同じ作業台に向かっていました。

    カリキュラムは、徹底的に「基本の基本」から始まります。正直、現場経験のあった私からすれば「そんなの知ってるよ」と思うこともありましたが、個別の対応なんてありません。実務で1ヶ月あれば覚える内容を、1年かけてじっくりやる。それが訓練校という場所です。

    しかし、ここで私は人生で初めての感覚を味わうことになります。

    「学生時代の勉強は、あんなに苦痛で、あんなに退屈だったのに。……道具を研ぎ、木を削ることが、どうしてこんなに楽しいのか」

    授業が終わる4時や5時になっても、私は帰りませんでした。土日も返上して、ひたすら「鑿(のみ)」を研ぎ、カンナの刃を調整する。 昨日まで研げなかった刃が、今日は研げるようになる。研ぎ澄まされた刃で木を削れば、鏡のような光沢を放つ面が現れる。

    自分の上達が、目に見えて、手に触れられる。 抽象的な数式や、使いもしない外国語とは違う。物理的な手応えを伴う「学び」に、私は時間を忘れて没頭しました。

    「自分がどんどん上達していくのがわかる」

    このシンプルで、しかし強烈な成功体験が、どん底にいた私の魂を癒し、立て直してくれました。 社会のレールから外れた恐怖を、木の香りと刃物の冷たさがかき消してくれたんです。

    大工仕事の本質は、嘘がつけないことです。 いい加減な仕事をすれば、形にならない。逆に、真摯に向き合えば木は応えてくれる。 この時期に没頭した「道具との対話」が、後に電験三種のような難関資格に挑む際にも、あるいは武術の理を解明する際にも、私の根底を支える哲学となりました。

    こうして夢中で過ごした1年間。卒業が近づく頃、私には思いもよらない「オファー」が届くことになります。

  • 第12話

    第12話

    一夜にして消えた会社:班長としての責任と、再起の「大工コース」

    総監督の忠告通りでした。 翌朝、現場へ向かう前に事務所に寄ると、そこは文字通り「もぬけの殻」。マジで夜逃げです。 一緒に働いていた50人から70人の仲間たち、そして私の班で汗を流してくれた10人ほどの部下。彼らの給料も、私の未払い分も、すべては闇に消えました。

    当時の私は20代後半。貯金はようやく20万円を超えたかどうかという程度でしたが、それでも、数年を共にした仲間たちが飯も食えない状況を見過ごせませんでした。 「しばらくの飯代くらいは俺が持ったるわ」 そう言って、1週間ほどは仲間と食事をしながら、これからの身の振り方を語り合いました。情けない話ですが、それが当時の私にできる精一杯の義理でした。

    「給料未払い、会社倒産。絶体絶命の淵で、私は『国の制度』という武器を使い倒すことに決めた」

    泣き寝入りするつもりはありませんでした。 仲間と労働基準監督署へ出向き、未払給料の立替払制度を申請。8割の目処が立ったところで、次の一手を打ちました。 それが、職業訓練校への入学です。

    状況が状況ですから、行政側も柔軟に対応してくれました。雇用保険の延長制度を使い、食い繋ぎながら技術を身につける。 選んだのは「大工コース」。 それまでプレハブ建築の手伝いなどは経験していましたから、全くの素人ではありません。でも、一度しっかり「木造建築」の基礎から叩き込みたい、そう強く思ったんです。

    事情を知った訓練校側も「それは大変だったね」と枠を確保してくれました。 大学中退、専門学校中退、そして会社の倒産。 ボロボロの履歴書を抱えたまま、私は「大工の卵」として、新たな場所でカンナを握ることになりました。

    社会のレールから外れた人間が、再び立ち上がるためには、きれいごとだけでは無理です。 使える制度はすべて使い、空いた枠に強引にでも指を突っ込む。 この執念が、後に「理論の資格」と「現場の技術」を融合させた私の強みへと繋がっていくのです。

    さて、ここから始まる大工修行。 そこで私は、自分の人生を支える「ある重要な気づき」を得ることになります。

  • 第11話

    第11話

    「お前の会社、潰れるぞ」:厚生年金の喜びを打ち砕く宣告

    現場で泥にまみれて働き続けるうちに、ようやく会社も私のことを認めてくれるようになりました。「お前、そろそろ社員になれ」と言ってもらえた時は、本当に嬉しかった。

    それまで厚生年金なんて縁のない生活でしたから、会社が手続きをしてくれた時、ようやく「自分も世間並みの、一人前の形になれたんだ」としみじみ感じたのを覚えています。ボーナスなんてなくても、その「形」だけで十分だった。

    そんな矢先のことです。 いつものように現場に出向いた私を、総監督が事務所に呼び出しました。

    「いいか、ここだけの話にしておけよ。お前の会社、もうすぐ潰れるぞ。準備しておけ」

    深刻な顔でそう告げられました。総監督は、私が真面目に働く姿をずっと見てくれていた人です。「お前はよくやってる。だから教えるんだ。明日からの振る舞いを自分で考えろ」と。

    実は、その時点で給料はすでに2ヶ月未払いでした。 日給月給で日銭を稼いでいる仲間たちの顔が浮かびました。彼らにとって会社が消えることは、明日食うものがなくなることを意味します。

    総監督は「今日はもう来たことにしておくから、現場はいい。帰って自分の準備をしろ」と、情けをかけてくれました。 その足で会社に問い合わせても「そんな話はない」と否定される。でも、私は自分を認めてくれた現場の人の言葉を信じました。

    会社は嘘をつくが、現場の信頼関係は嘘をつかない。 私は会社を問い詰めながらも、こっそりと自分の勤務実態のデータだけは確保しました。 「またレールの外側に放り出されるのか」という恐怖と、生き延びるための冷徹な計算。その両方を抱えながら、私の「会社員生活」は唐突に終わりを迎えようとしていました。

    こうして始まった倒産劇。 手元に残ったのは、20万円にも満たない貯金と、未払いの給料。 絶体絶命の私が次に向かった場所は、「大工」の道でした。