カテゴリー: 自己紹介ブログ

  • 第15話

    第15話

    戦略的撤退:工場の夜勤派遣と「牙を研ぐ」時間

    講師としての任期を終えた私を待っていたのは、凄まじい建築不況でした。 20代後半、まともな実務経験もない人間を、ま当な待遇で受け入れてくれる現場なんてどこにもない。それが当時の、偽らざる現実でした。

    けれど、私の中には不思議と絶望はありませんでした。 むしろ、「大工修行」と「講師経験」を通じて得た、一つの確信があったんです。

    「自分は、やればできる。この手応えさえあれば、必ずここから再起が図れる」

    今すぐやりたいことが仕事にできないのなら、まずは経済的な余裕を作ろう。そう割り切りました。 もちろん、その仕事を一生続ける気なんてサラサラありません。あくまで「数年で金を貯める」と期限を決め、私は工場の派遣社員という道を選びました。

    選んだのは、過酷な夜勤のある現場。月収30万ほどにはなりましたが、それは文字通り、自分の時間と肉体を削って手にする金でした。

    周囲から見れば、またフラフラと職を変えているように見えたかもしれません。 でも、私の中では明確な「戦略」がありました。 金を貯め、その間に次の武器を仕込む。あの倉庫生活や、会社の夜逃げを生き抜いてきた私にとって、工場のルーチンワークは「牙を研ぐための潜伏期間」に過ぎなかったんです。

    「非正規でいい、工場の派遣でいい。ただし、魂まで売ったわけじゃない」 単調なライン作業の中で、私は常に「次の一手」を考えていました。 この時期の肉体的な無理が、後に膝の古傷を悪化させることになるとは思いもしませんでしたが……。

    工場の夜勤で金を貯めながら、私は次の戦場を見定めていました。 それが「電気・設備」という、理論と現場が高度に融合する世界への扉でした。

  • 第14話

    第14話

    「生徒」から「先生」へ:人生初の抜擢と、教育という原点

    夢中で鑿(のみ)を研ぎ、木を削り続けた1年間。修了の時期が近づいた頃、私に思いもよらない話が舞い込んできました。

    当時、教えてくれていた講師の方が二人、同時に辞められることになったんです。正規の新しい先生が決まってはいたのですが、その方は現場の責任者。今抱えている現場が終わるまでは、どうしても動けないという状況でした。

    「お前、次の就職が決まっていないんなら、つなぎで非常勤講師をやらんか?」

    正規の先生たちが困り果てた末に、私に声をかけてくれたのです。 「今年習ったことをそのまま教えればいいから。お前ならできるだろう」と。

    「待遇なんてどうでもよかった。ボロボロの履歴書を抱えた私に、県が『教えてくれ』と頼んできた。そのことが、何よりの誇りでした」

    即答で引き受けました。完全に特例です。私は職業訓練指導員資格は所有しておりません。 こうして3ヶ月間、私は非正規の講師として教壇に立ち、実習場を駆け回ることになりました。同じように就職を目指し、新しく入ってきた生徒たちに、自分が学んだ技術を伝える。

    人生で初めて「人に指導する」という経験をしたこの時期のことは、今でも鮮明に思い出します。 自分が苦労して掴んだ「研ぎの感覚」や「段取りのコツ」を、どうすれば相手に伝えられるのか。それを模索した3ヶ月間こそ、今の私の原点です。

    武術を伝え、DIYを教え、AIの活用法を説く。 今の「DIY・AI研究所」の活動の根底には、あの実習場でカンナ屑にまみれながら、必死に言葉を紡いでいた若き日の私がいます。

    一度は社会から「不要」だと突き放された人間でも、技術を磨けば、必要とされる場所がある。 その手応えが、私の折れかけていた心に火を灯してくれました。

    しかし、この「講師生活」もあくまで期間限定。 3ヶ月が過ぎ、任期を終えた私を待っていたのは、再びの「不況」という高い壁でした。

  • 第13話

    第13話

    「学ぶ」とはこういうことか:大工修行で知った身体的歓喜

    職業訓練校というのは、不思議な場所でした。 高校に行けず親に連れてこられた少年、将来を見据えた若者、そして私のように会社倒産で滑り込んだ人間や、雇用保険の延長が目的の中高年。多種多様な背景を持つ人々が、同じ作業台に向かっていました。

    カリキュラムは、徹底的に「基本の基本」から始まります。正直、現場経験のあった私からすれば「そんなの知ってるよ」と思うこともありましたが、個別の対応なんてありません。実務で1ヶ月あれば覚える内容を、1年かけてじっくりやる。それが訓練校という場所です。

    しかし、ここで私は人生で初めての感覚を味わうことになります。

    「学生時代の勉強は、あんなに苦痛で、あんなに退屈だったのに。……道具を研ぎ、木を削ることが、どうしてこんなに楽しいのか」

    授業が終わる4時や5時になっても、私は帰りませんでした。土日も返上して、ひたすら「鑿(のみ)」を研ぎ、カンナの刃を調整する。 昨日まで研げなかった刃が、今日は研げるようになる。研ぎ澄まされた刃で木を削れば、鏡のような光沢を放つ面が現れる。

    自分の上達が、目に見えて、手に触れられる。 抽象的な数式や、使いもしない外国語とは違う。物理的な手応えを伴う「学び」に、私は時間を忘れて没頭しました。

    「自分がどんどん上達していくのがわかる」

    このシンプルで、しかし強烈な成功体験が、どん底にいた私の魂を癒し、立て直してくれました。 社会のレールから外れた恐怖を、木の香りと刃物の冷たさがかき消してくれたんです。

    大工仕事の本質は、嘘がつけないことです。 いい加減な仕事をすれば、形にならない。逆に、真摯に向き合えば木は応えてくれる。 この時期に没頭した「道具との対話」が、後に電験三種のような難関資格に挑む際にも、あるいは武術の理を解明する際にも、私の根底を支える哲学となりました。

    こうして夢中で過ごした1年間。卒業が近づく頃、私には思いもよらない「オファー」が届くことになります。

  • 第12話

    第12話

    一夜にして消えた会社:班長としての責任と、再起の「大工コース」

    総監督の忠告通りでした。 翌朝、現場へ向かう前に事務所に寄ると、そこは文字通り「もぬけの殻」。マジで夜逃げです。 一緒に働いていた50人から70人の仲間たち、そして私の班で汗を流してくれた10人ほどの部下。彼らの給料も、私の未払い分も、すべては闇に消えました。

    当時の私は20代後半。貯金はようやく20万円を超えたかどうかという程度でしたが、それでも、数年を共にした仲間たちが飯も食えない状況を見過ごせませんでした。 「しばらくの飯代くらいは俺が持ったるわ」 そう言って、1週間ほどは仲間と食事をしながら、これからの身の振り方を語り合いました。情けない話ですが、それが当時の私にできる精一杯の義理でした。

    「給料未払い、会社倒産。絶体絶命の淵で、私は『国の制度』という武器を使い倒すことに決めた」

    泣き寝入りするつもりはありませんでした。 仲間と労働基準監督署へ出向き、未払給料の立替払制度を申請。8割の目処が立ったところで、次の一手を打ちました。 それが、職業訓練校への入学です。

    状況が状況ですから、行政側も柔軟に対応してくれました。雇用保険の延長制度を使い、食い繋ぎながら技術を身につける。 選んだのは「大工コース」。 それまでプレハブ建築の手伝いなどは経験していましたから、全くの素人ではありません。でも、一度しっかり「木造建築」の基礎から叩き込みたい、そう強く思ったんです。

    事情を知った訓練校側も「それは大変だったね」と枠を確保してくれました。 大学中退、専門学校中退、そして会社の倒産。 ボロボロの履歴書を抱えたまま、私は「大工の卵」として、新たな場所でカンナを握ることになりました。

    社会のレールから外れた人間が、再び立ち上がるためには、きれいごとだけでは無理です。 使える制度はすべて使い、空いた枠に強引にでも指を突っ込む。 この執念が、後に「理論の資格」と「現場の技術」を融合させた私の強みへと繋がっていくのです。

    さて、ここから始まる大工修行。 そこで私は、自分の人生を支える「ある重要な気づき」を得ることになります。

  • 第11話

    第11話

    「お前の会社、潰れるぞ」:厚生年金の喜びを打ち砕く宣告

    現場で泥にまみれて働き続けるうちに、ようやく会社も私のことを認めてくれるようになりました。「お前、そろそろ社員になれ」と言ってもらえた時は、本当に嬉しかった。

    それまで厚生年金なんて縁のない生活でしたから、会社が手続きをしてくれた時、ようやく「自分も世間並みの、一人前の形になれたんだ」としみじみ感じたのを覚えています。ボーナスなんてなくても、その「形」だけで十分だった。

    そんな矢先のことです。 いつものように現場に出向いた私を、総監督が事務所に呼び出しました。

    「いいか、ここだけの話にしておけよ。お前の会社、もうすぐ潰れるぞ。準備しておけ」

    深刻な顔でそう告げられました。総監督は、私が真面目に働く姿をずっと見てくれていた人です。「お前はよくやってる。だから教えるんだ。明日からの振る舞いを自分で考えろ」と。

    実は、その時点で給料はすでに2ヶ月未払いでした。 日給月給で日銭を稼いでいる仲間たちの顔が浮かびました。彼らにとって会社が消えることは、明日食うものがなくなることを意味します。

    総監督は「今日はもう来たことにしておくから、現場はいい。帰って自分の準備をしろ」と、情けをかけてくれました。 その足で会社に問い合わせても「そんな話はない」と否定される。でも、私は自分を認めてくれた現場の人の言葉を信じました。

    会社は嘘をつくが、現場の信頼関係は嘘をつかない。 私は会社を問い詰めながらも、こっそりと自分の勤務実態のデータだけは確保しました。 「またレールの外側に放り出されるのか」という恐怖と、生き延びるための冷徹な計算。その両方を抱えながら、私の「会社員生活」は唐突に終わりを迎えようとしていました。

    こうして始まった倒産劇。 手元に残ったのは、20万円にも満たない貯金と、未払いの給料。 絶体絶命の私が次に向かった場所は、「大工」の道でした。

  • 第10話

    第10話

    通帳の「20万円」が超えられない壁:エリート意識の残骸と格差

    現場に入ってからというもの、付き合う人間も、時間の使い方も一変しました。 国立、国立と歩んできた自分の中には、どこか「自分は頭が悪い方じゃない」というエリート意識の残骸のようなものがあった。けれど、現場で毎日顔を合わせる仲間たちは、仕事が終われば酒を飲んで、わーっと食べて、その日が終われば満足という生き方の人たちばかり。

    今の私なら、それも一つの尊い生き方だと心から認められます。でも、当時はまだ若かった。

    ふとした瞬間に、風の便りで同級生たちの近況が届くんです。 「あいつはどこそこの病院で講師になった」「あいつはボーナスがこれくらい出た」。 正規雇用で有給もあって、着実に社会の階段を登っている彼らと、日給月給でその日暮らしの自分。

    「20代の頃、自分の貯金通帳が20万円を超えた記憶が一回もない。それが、私の現実でした」

    冗談抜きで、金が貯まらないんです。 当時付き合っていた学生時代の同級生の彼女と、卒業から1年後に会った時の衝撃は忘れられません。彼女の通帳には、すでに100万円以上が貯まっている。

    「この差は何なんだ?」

    比べることに意味がないと分かっていても、どうしても比べてしまう。 今でも、同世代の人間と自分を比べて「俺はどうかな」と思うことはあります。でも、20代のあの頃に感じていた劣等感は、もっと鋭利で、もっと逃げ場のないものでした。

    社会のメインストリームから完全に脱落したという実感。 自分の選択の結果だとは分かっていても、同年代が手に入れている「安定」という名のチケットを持っていないことが、これほどまでに重くのしかかるとは思っていませんでした。

    しかし、この「通帳20万円の壁」に絶望していた男が、後に電験三種を手にし、FIREを実現させる。 人生、どこでどう転ぶか分からないものです。

    次回、そんな私に追い打ちをかけるように訪れた「会社の夜逃げ・倒産」というさらなる絶望の話をしましょうか。

  • 第9話

    第9話

    怒号と人情の現場:私が「段取り」を叩き込まれた日々

    土建の現場で働き始めて、まず直面したのは、それまでの「学生生活」ではありえないほど濃縮された人間模様でした。

    ぶっちゃけて言います。大学や専門学校にいた連中と比べれば、人格的に「どうなんだ」と思うような人は確かに多かったです。今の時代なら一発でアウトなパワハラも日常茶飯事。「トロトロしてんじゃねえぞボケ!」「お前は遅いんだよ!」なんて言葉が、挨拶がわりに飛んできました。

    でも、それが全てかと言えば、そうじゃない。 一概には言えないんですよ。私が今まで出会った中で、一番お世話になり、今でも心から感謝しているのは、実はこの業界の人たちなんです。

    「甘やかされていたら、私は一生気づかなかった。準備の重みも、段取りの真髄も。あの怒号の中でしか、学べないことがあった」

    こっぴどく怒られたり、馬鹿にされたりもしました。でも、その厳しい指導のおかげで、「仕事における準備」がいかに大切かという、職人としての基本が骨の髄まで染み込みました。

    今は少し厳しくすれば「パワハラ」と言われる時代です。確かに理不尽な暴力は肯定しませんが、一方で、全く厳しさがなくなった世界で本当に人が育つのか、という疑問は正直あります。あのヒリヒリした現場の空気感が、私という「職人」を形作ったのは間違いありませんから。

    不人気な業界、荒っぽい人間関係。それでも、そこには確かに「人情」があった。 だからこそ、私は今でもこの業界を捨てたくないし、そこで培った「技術で生きる」という誇りを持ち続けたいと思っているんです。

    理屈じゃないんです。体が覚えるまで叩き込まれる。 その経験が、後に私が手にする「電気・設備」の資格や、DIYの技術、さらには武術の境地にまで繋がっていくことになります。

    泥にまみれて働き、ようやく社会の一員としての実感を掴みかけた私ですが、人生の荒波はこれで終わりではありませんでした。 次は、真面目に働き始めた私を襲った「会社の倒産」と、そこからの大逆転についてお話ししましょう。

  • 第8話

    第8話

    「半端者」の居場所:土建の現場と、削り取られたモラトリアム

    とにかく、あの苦しさから楽になりたかった。 その一心で、私は国立の養成校を中退しました。けれど、現実は甘くありません。大学を中退し、さらに専門学校まで中退した男。バブルが崩壊し、就職氷河期へと突き進んでいた当時の社会において、それは「まともな経歴」ではないというレッテルを貼られることを意味していました。

    当時はまだ「自分探し」だの「モラトリアム」だのという言葉が許容される空気もありましたが、それはあくまで「いつかはレールに戻る」ことが前提の話。私のように、戻るべきレールそのものを自ら粉砕してしまった人間を、社会は簡単には受け入れてくれませんでした。

    そうなると、行き着く先は一つしかありません。 圧倒的な人手不足で、経歴よりも「今、ここで動ける体」を必要としている業界——土建業、そして工場の現場です。

    「スーツを着て社会を動かしているフリをする仕事が人気なのは、今も昔も変わらない。私はその裏側、泥にまみれる場所に身を置くしかなかった」

    今でも、若い子がホワイトカラーを求めて、土建や工場の現場を避ける傾向は変わりませんね。足りない分を外国人労働者で埋めるような今の社会のあり方を、私はあまり好きにはなれません。でも、当時の私もまた、その「社会の底」と言われる場所にしか、自分の居場所を見つけられなかった。

    2度のドロップアウトを経て、さすがに親からも「もうお前なんか知らん、勝手にしろ」と突き放されました。 甘えはもう許されない。経済的に自立しなければ、文字通り生きていけない。

    理屈やプライド、きれいな経歴……そんなものを全部かなぐり捨てて、私は現場へと足を踏み入れました。 それが、私にとっての「職人」という生き方への、最初の第一歩だったとは、当時はまだ知る由もありませんでした。

    とりあえず、働かせてくれる場所がある。それだけで十分だった。 そこから始まった「現場」の生活が、私にどんな武器を与えてくれたのか。続きをお話しします。

  • 第7話

    第7話

    「方程式」が通用しない場所:救急救命病院での挫折

    国立の養成校に入り、最初の頃は順調でした。学校の勉強は「AならばBになる」という方程式の世界。一生懸命やれば、それなりの成績でついていけた。 しかし、3年目。実際の病院へ行く「実習」が始まった時、私のメッキは剥がれ落ちました。

    私が行ったのは、救急救命病院。 漫画『ブラックジャックによろしく』で、主人公が夜間の救急現場で何もできずにパニックになるシーンがありますが、まさにあの時の心境です。

    目の前にいるのは、脳卒中で倒れ、意識もなく、言葉も発せられない患者さん。 学校で習った「関節可動域を測りましょう」「筋反射を見ましょう」なんてマニュアルが、一体何の役に立つのか。 医者のカルテですら「原因はよく分からんが、おそらく脳卒中」という程度の記述。そんな曖昧な状況でリハビリのオーダーを出されても、自分に何ができるというのか。

    「昨日までリハビリに携わっていた人が、今日、突然いなくなる。……ああ、人って本当に死ぬんだなと」

    一番ショックだったのは、死が日常のすぐ隣にあることでした。 昨日まで温かかった体が、今日はもう物言わぬ塊になっている。それを見つめるご家族の悲痛な姿。 その圧倒的な現実を前にした時、私の中の何かが音を立てて壊れました。

    自分に何ができる? そもそも生きているとはどういうことなのか? 「指一本動かせること自体が、とてつもない奇跡じゃないか」 そう考え出したら、もう生きること自体が苦しくて、苦しくて仕方がなくなってしまった。

    理屈で納得したい自分の「理系脳」が、医療現場の「割り切れない生と死」に直面して、完全にフリーズしてしまったんです。 人一倍、他人に気を遣い、感受性が強かった当時の私にとって、その葛藤は耐えられる限界を超えていました。

    こうして私は、3年まで通った専門学校を辞めることになります。 大学中退、そして専門学校も中退。 履歴書はさらにボロボロになり、私は再び「レールの外側」へと放り出されることになったのです。

  • 第6話

    第6話

    国立養成校のトラップ:エリートたちの「滑り止め」という現実

    地元に戻り、私は人生の再スタートを切りました。 親にはこれ以上金銭的な負担をかけられない。大学中退で一度泥を塗っていますからね。 当時、私立の医療系養成校に行けば年間100万円はかかりましたが、国立なら年間6万円。選択肢は国立一択でした。

    「少しは勉強するか」と腰を据えて取り組んだところ、もともと勉強自体は嫌いではなかったので、無事に合格。 再スタートは順風満帆に見えました。しかし、そこには国立特有の「トラップ」が待ち構えていたんです。

    「医学部の滑り止めとして来た連中が、ゴロゴロいる。彼らにとって、ここは『敗者復活戦』の場ですらあかった」

    国立のリハビリ養成校というのは、学費の安さゆえに、医学部を目指して届かなかった超優秀層が大量に流れ込んできます。 地方の国立大学にギリギリ受かるレベルだった私から見れば、彼らは別世界の住人でした。

    「学歴なんて関係ない、実力の世界だ」と世間は言います。 でもね、事実として認めざるを得ないのは、記憶力や情報処理能力において、高学歴な連中は圧倒的に「得意」なんです。 同じ教科書を読み、同じ講義を受けても、彼らは涼しい顔で吸収していく。

    学歴社会がなぜ機能するのか。それは彼らが「そういう能力」に長けているからであり、それが有利に働く場面が厳然として存在するからです。

    倉庫の哲学者たちとはまた違う、今度は「システムの頂点を目指した、あるいは破れた精鋭たち」との共同生活。 自分の立ち位置を嫌というほど自覚させられる日々が始まりました。 でも、そこでも私は「自分の戦い方」を見つけなければならなかったんです。

    さて、ここからどうやって今の「職人の道」へと軌道修正していくのか。 さらに深く語っていきましょう。