カテゴリー: 武術・基礎

  • 人間万事塞翁が馬

    人間万事塞翁が馬

    昔の人はよく言ったものです。「人間万事塞翁が馬」。
    若い頃にその言葉を聞いても「ふーん、そんなもんかな」くらいにしか思っていませんでした。でも、この歳になって、自分のボロボロの履歴書を眺め返していると、これほど腑に落ちる言葉はありません。

    私の人生は、18歳の交通事故で膝に爆弾を抱えたことから「狂い」始めました。大学を中退し、東京でホームレスになり、専門学校も中退。会社は夜逃げして倒産。

    「最悪のカード」が、実は「最強の伏線」だった

    その時は、自分を世界で一番の「半端者」だと思っていましたよ。周りが順調にキャリアを積む中で、自分だけがドロップアウトを繰り返している。

    でもね、今なら分かるんです。あの時、作業療法の学校で詰め込まれた解剖学の知識がなければ、今の私の武術知識取得にさらに時間がかかっていると思います。現場で、膝の痛みに耐えながら、社会に認められようと取った数々の資格や経験がなければ、今の「自立」という根拠は手に入らなかった。 まぁ、これまた考えるな感じろの世界では色々あるのも事実ではあるのですが。

    不幸のどん底に落ちたおかげで、私は「自分の手で道具を作る」という職人の生き方に辿り着けたんです。

    吉凶は、あざなえる縄のごとし

    結局、何が良くて何が悪いかなんて、その瞬間には誰にも分からないんですよ。 順風満帆に会社員を続けていたら、私は今頃、AIに取って代わられる恐怖に怯えながら、組織の論理に魂を削っていたかもしれません。

    挫折したから、寄り道したから、普通の人が見ないような「社会の裏側」や「身体の深淵」を見ることができた。

    20代で出会って放置していた中村天風さんの教えも、藤平光一先生の思想も。 すべては、私が40代、50代になって、この「DIY・AI研究所」を立ち上げるために必要なパーツだった。そう思わずにはいられないんです。

    だから、今もし「自分はどん底だ」とか「人生無駄なことばかりだ」と嘆いている人がいたら、伝えたい。

    そのボロボロの経験は、いつか必ず「あなただけの武器」に化けます。今はただ、その時が来るのを信じて、目の前の道具を磨き、身体を整えておけばいい。

    塞翁が馬。 人生の帳尻は、最後に自分で合わせるもの。私はこれからも、この「寄り道だらけの人生」から得た知恵を、全力で実装し続けていこうと思います。

  • AIを現場に実装出来ますか?

    AIを現場に実装出来ますか?

    えーとね、最近いろんな個人事業主や零細企業の経営者さんと話すんです。全く興味を示さない人もいます。それはそれでどうなの?ってもんですが、まぁ、価値観の違いなので、深入りはしません。 一方、なにか魔法の杖でも手に入れたように興奮される人もいるんです。ただ、私としては落ち着けと。

    「AIを入れれば、勝手に売上が上がる」「面倒な仕事が全部なくなる」。そんな都合のいい話、あるわけないじゃないですか。AI導入がうまくいかない最大の原因は、性能の問題じゃない。皆さんの「業務の設計図」が、そもそもAIの特性を無視しているんです。

    AIは「当たるも八卦」のマシーンである

    まず、ここを叩き込んでください。生成AIは「確率」で答えを予測する機械です。「確率的に間違える」のはバグじゃなくて、仕様なんです。

    それなのに、零細企業の現場でありがちな「100%の正確さ」が必要な仕事をそのままAIに丸投げしていませんか?

    • 1円の狂いも許されない計算や、厳密な仕様が求められるコード作成
    • 誤りがそのまま信頼失墜につながる対外的な最終回答
    • 細部の破綻が許されない、手触り感の重要なデザイン制作

    これ、AIがダメなんじゃなくて、使い手が下手なんです。「多少のブレがあっても、数を出せば成果に繋がる」という領域に、いかにAIを配置するかが経営者の仕事でしょう。

    「長い連鎖」は事故の元

    もう一つの落とし穴が「あれもこれも」と工程を繋げすぎること。 精度90%の作業を10回連続で成功させる確率は、たったの34%です。ステップが長くなればなるほど、どこかで必ず綻びが出る。

    全部をAIにやらせようとするな、と言いたい。
    レトルトをチンするような「短い仕事」をAIに任せ、最後は人間が味を整える。この「人間による実装」をサボるから失敗するんです。

    経営者こそ、真っ先にAIに代わられる

    ここからが一番シビアな話です。 AIは「1回の完璧な正解」は苦手ですが、「1000回の平均をとる」ような仕事はめちゃくちゃ強い。確率論で判断を下すのは、AIの得意分野なんです。

    ということは、現場の手触りを知らず、数字だけを見て「次はこうしろ」と判断を下すだけの経営者やマネージャーは、最もAIにリプレイスしやすい。皮肉なことに、零細企業の経営者が一番「費用対効果よく」AIに置き換えられてしまう可能性があるんです。

    「AIに経営を考えさせ、人間が道具を完璧に使って現場を回す」。
    これからの時代、こっちの方が組織として強くなるかもしれない。我々経営層のほうが、実は崖っぷちに立たされているんです。

    最後に残るのは「実装できる手」を持つ者

    AIに食われない唯一の方法は、現場の解像度を上げること。自分の手で実装し、泥臭く調整できる「職人」としての感覚を取り戻すことです。

    1. 業務を極限までシンプルにする。
    2. 正確さが必要なところは、AIではなく「定規(プログラム)」を自分で用意する。
    3. 正確性に依存しない「攻め」の企画やたたき台に、AIを使い倒す。

    AI万能説を信じて現場をリストラするなんて、愚の骨頂です。むしろ逆。AIという強力な相棒を得て、自ら手を動かす経営者こそが、これからの荒波を生き残れるんだと私は確信しています。

  • 「AI主導権を握った実装」

    「AI主導権を握った実装」

    えーとね、今日一日半、AIさんとこうして対話を重ねてきて思うんですけどね。本当に凄い時代になったなと、心から思いますよ。

    私が何十年もかけて、泥をすすりながら、時にはメンタルを削りながら手に入れてきた「人生の教訓」や「武術の思想」、「相場での立ち振る舞い」。これらを整理して、こうやって誰かに読める形にするのに、昔ならどれだけの手間と時間がかかったことか。

    それが、たったの1日半。 AIという「壁打ち」の相手がいるだけで、これだけのブログ実装HPが立ち上がってしまう。

    もちろん、何度も言うように、中身を語っているのは私です。私の経験であり、私の言葉です。AIさんはそれを、私の「志」に沿って、整理して、実装する手助けをしてくれたに過ぎない。

    道具を使いこなす、ということの証明

    これこそが、私が伝えたかった「自立」の形の一つなんですよ。高価なコンサルを雇う必要も、組織に頭を下げる必要もない。最新のテクノロジーを自分の「手足」として使いこなせば、個人がここまで表現できる、戦える。

    「AIのおかげやわ」と、私は素直に思います。 でもそれは、AIに依存したわけじゃない。AIという最強の工具を手に入れて、自分の城を自分の手で爆速で組み上げた、という職人としての手応えなんです。

    これで、このブログの土台は整いました。あとはここを拠点にして、もっと面白いことを実装していくだけです。

    皆さん、情報に溺れている暇はありませんよ。 道具を持って、自分の足で立ち、自分だけの形を作り始める。 その楽しさを、これからもこの場所から発信していければと思っています。

  • 【相場師編:第3回】

    【相場師編:第3回】

    相場師としての視点、第3回目。最後にお話ししたいのは、「必勝法」なんてどこにもない、という前提に立った上での私の戦い方です。

    「このやり方をやれば必ず儲かる」なんて話があれば、苦労はしません。現実はそんなに甘くない。だからこそ、私がまずやるのは「自分が引き受けるリスクは何なのか」を確定させることです。つまり、最悪の事態を想定する。ここを抜きにして、勝負なんて成り立ちません。

    「勝つ」ことを求めず、「負けない」ことを考える

    夢物語を語っても現実は変わりません。大切なのは、どこまでのリスクなら自分は耐えられるのかという「己を知る」作業です。私にとっての相場戦略とは、資金配分そのもの。最悪の事態が起こっても、とりあえずしのげる配分にする。

    「私は勝ちます」ではなく、「私は負けません」。
    この姿勢が、生き残るためには決定的に重要なんです。

    相場はあなたの期待通りには動きません。上がるか下がるか、専門家だって外しまくっている。そこに翻弄されても、最終的な責任を取らされるのは自分です。国の一言、誰かの発言一つで世界は動くし、それを仕掛ける大きな思惑だって存在する。そんなものを庶民がすべて把握できるはずがないんです。

    不確実な世界での「唯一の根拠」

    世の中は諸行無常です。何が起こるか分からない。その不確実性の中でやっていくために、何が必要か。それは、他ならぬ自分自身の「自立」という根拠です。

    「最悪、相場でどうなろうと、自分の生活は自分の腕で維持できる」という根拠があるからこそ、リスクを取っていけるんです。

    美味しい情報に乗っかって簡単に儲けようとする甘えを捨て、シビアに現実を見つめる。そして、万が一の時でも自分の足で立っていられる状態を常に作っておく。

    相場の世界で生き残るための知恵は、結局、DIYや武術と同じ「自立の精神」にたどり着くんです。だからこそ、私は「自分の足で立とう」と言い続けている。それが、この不確かな時代における最強の生存戦略だと信じているからです。

  • 【相場師編:第2回】

    【相場師編:第2回】

    相場師としての視点、第2回です。相場に手を出すと、とにかくメンタルを削られます。そうなると、人間はどうしても「確かな情報」に縋りたくなる。私も昔はそうでした。

    世の中には経営コンサルタント、経済評論家、投資レポート……いかにも説得力のある話が溢れています。それを聞くと、「これさえ信じれば儲かるんだ」という全能感に包まれる。でも、ここで一つ、冷徹な真実を突きつける必要があります。

    なぜ彼らは「自分」で相場を張らないのか

    もし、その経済評論家の相場観が100%正しいのなら、あるいは経営コンサルタントの戦略に絶対の自信があるのなら、彼らは自分で相場を張り、自分で会社を経営すればいいだけの話です。

    でも、彼らはそれをしない。なぜか。自分でリスクを取るよりも、他人にリスクを取らせて、自分は安全な場所から言いたい放題言っている方が「楽」だからですよ。

    自分の腹を痛めず、責任も取らない人間の言葉に、一体どれほどの価値があるというのでしょうか。

    必勝法がない、という現実を認める勇気

    自ら相場に身を投じ、身銭を切っている機関投資家などの言葉は別です。彼らは経験という痛みを伴う情報を話している。まぁ、ポジショントークも多いとは思いますけどね。 いずれにしても、多くの「外野」の言葉を鵜呑みにするのは、極めて危険です。

    ニュースを見て、評論家の予測を聞いて、「そうなるのか」と思ってポジションを持つ。でも、結果は全く逆。そんなことはザラです。結局のところ、どんなに権威のある予言も「当たるも八卦、外れるも八卦」の域を出ないんです。

    この世に「完全な情報」も「必勝法」も存在しない。 その残酷な現実を真っ向から認めた時、初めて本当の相場が始まると私は思っています。

    情報を得ることは無意味ではありません。新しい視点を与えてくれることもある。けれど、最後に判断を下し、その結果責任をすべて負うのは自分自身です。

    誰かの予測に人生を預ける「お客さん」でいる限り、相場の世界で生き残ることはできません。情報の裏にある「責任の重さ」を嗅ぎ分ける目を持つこと。それが、私がこの世界で学んだ最も重要な教訓の一つです。

  • 【相場師編:第1回】

    【相場師編:第1回】

    相場師としての視点も、少し書いておこうと思います。FIREという生き方をしていると、よく資産運用の話を聞かれるんですが、世間の「相場」に対する捉え方には、昔から強い違和感があるんです。

    以前、先物相場やFXを熱心にやっていた頃のことです。周りからは「そんな怪しいことを」「危ないよ」と、腫れ物に触るような目で見られたものです。

    「知らないもの」を否定する不思議

    昔、現場で働いていた時の班長さんにも言われましたね。「お前、先物なんてやってるのか」と。だから私は聞き返したんです。「班長、先物ってどんなものか知ってますか?」って。

    そうしたら、返ってきた答えは「いや、知らんけどな」ですよ。知らないものを、なぜ全否定できるのか。この「根拠のない拒絶」こそが、多くの人のチャンスを奪っている正体じゃないでしょうか。

    「不労所得」は、決して「楽な所得」ではない

    それからもう一つ。相場でお金を作ることを「不労所得」なんて呼んで、楽をして儲けているように言う人がいますけどね。これ、実際やってみれば分かりますが、ちっとも「楽」なんかじゃないですよ。

    自分の大切なお金が、一瞬で溶けるかもしれない恐怖。 その中で冷静な判断を続けるのが、どれだけメンタルを削られる作業か。

    肉体労働とは別の意味で、神経をすり減らす過酷な作業なんです。画面の向こう側の見えない敵と戦い、自分自身の弱さとも向き合い続ける。そこにあるのは「楽」なんて言葉では片付けられない、剥き出しの生存競争です。

    「虎穴に入らずんば虎子を得ず」です。リスクも取らず、汗もかかずに、ただ安全な場所から石を投げているだけでは、世の中の仕組みは見えてきません。

    メディアが作った「地獄」や「楽園」の虚像に惑わされず、まずは中身を知ること。そして、自分がどれだけの負荷に耐えられるのかを見極めること。

    相場の世界も、武術やDIYと同じです。結局は、リスクという重みを自分の肩で引き受ける覚悟があるかどうか。そこが全てのスタートなんですよね。

  • 「組織が、世の中がおかしい」で、あなたはどうするの?

    「組織が、世の中がおかしい」で、あなたはどうするの?

    「なぜ自分の足で立つ必要があるのか」という、一番根っこの部分を伝えておこうと思います。

    サラリーマン時代も、そして組織を離れた今も、ずっと感じていることがあります。皆さん、コミュニティや組織のしがらみを無視しては生きられない。それは現実として分かります。でもね、あまりに自分を殺しすぎではないですか。

    「おかしい」と言いながら、加担する人々

    立派なことを言う人はたくさんいます。「これはやりたくない」「組織のここが間違っている」。でも、いざ行動となると、結局は組織の論理に従ってしまう。それどころか、無意識のうちに周りへ同調圧力をかける側に回っていたりする。

    私は、そういう全体主義的な空気が大嫌いなんです。心では反対しながら、行動では「おかしなこと」を助長する。そんな生き方が、果たして自由と言えるのでしょうか。

    自分の行動が伴っていないなら、どれだけ言葉を飾っても、それは自由ではないんです。

    期待はしない。けれど、やりたいからやる

    私が今、こうしてAIやDIY、武術を通じて「個の力」を磨く発信をしているのは、そういう生き方を選ぶ人が少しでも増えれば、世の中がもっと風通しの良いものになるんじゃないか、という淡い期待があるからです。

    もちろん、結果が出るかなんて分かりません。世の中が変わる保証もない。でも、私は「やりたいからやっている」だけなんです。

    もし何も変わらなければ、それはそれでしゃあない。一人で静かに日向ぼっこをして一日を終える……それもまた素敵な生き方だと思います。でも、もし少しでも希望があるなら、もう少し自由な世の中を見たい。

    誰かの顔色を伺って生きるのではなく、自分の頭で考え、自分の手で道具を作り、自分の足で大地を踏みしめる。

    そんな「職人」としての誇りを取り戻す人が増えた時、初めて本当の自由が見えてくるんじゃないか。私はそう信じて、これからも淡々と、自分の信じる道を歩んでいこうと思います。

  • 「避けて通れない、介護の重い課題」

    「避けて通れない、介護の重い課題」

    実際の具体的な活動として、今私が考えていること……それは「介護」という分野へのアプローチです。少子高齢化の日本において、これはもう避けて通れない問題ですよね。

    私の父親は、昔は何でも自分でやる人でした。とりあえず形にする、ということに関しては天才的だったんです。まあ、仕事が雑なので後で問題が出ることもありましたが(笑)、その都度直していけばいい、というスピード感があった。でも、そんな父も年齢と共に衰えていく。こればかりは「生老病死」、抗いようのない現実です。

    介護という「非生産的」な現場を、AIでハックする

    正直に言って、介護という分野は生産性が非常に低いです。どれだけ時間をかけても、明確な「出口」が見えにくい。だからこそ、こここそAIや技術の力を借りて、徹底的に効率化・システム化すべき場所だと私は思っています。

    幸い、私は電気や設備、ICTサポートといった分野で知識を蓄えてきました。この経験とAIを組み合わせれば、専門業者が作るような高価で無駄な機能がてんこ盛りのシステムなんて買わなくても、自分たちで最適な仕組みが作れるはずなんです。

    汎用品を組み合わせ、AIにコードを書かせれば、 「自分たちが本当に欲しい機能だけ」のシステムは、もう個人で作れる時代なんです。

    専門業者はいらない。必要なのは「構想力」だ

    今までなら、コンピューターを動かすのは難解なプログラミングが必要で、素人には手が出せませんでした。でも今は、AIに意図を伝えれば、動くレベルのコードを即座に吐き出してくれる。

    大事なのは「何を解決したいか」という構想力です。 高額なパッケージ商品をローンで買う必要はない。安価なセンサーとAI、そして自分の知恵があれば、それで十分なんです。

    これは介護に限った話ではありません。あらゆる分野で「専門業者任せ」にしていた部分を、自分の手に取り戻す。AIという最強の「助手」を使いこなして、身の回りの課題を淡々と解決していく。

    老いを受け入れながらも、知恵を使って生産性を上げていく。それが、私の考える「現代のサバイバル」の形であり、この研究所で証明していきたいことの一つなんです。

  • 「コスパの真実」と「身の丈に合った実装」のお話

    「コスパの真実」と「身の丈に合った実装」のお話

    具体的なDIYの話をしましょうか。私が仕事を通じて、そして今の生活をしていてずっと心に留めているのが「コスパ(対費用効果)」という考え方です。皆さん、もう少しここを真剣に考えたほうがいいですよ、といつも思うんです。

    お金をかければ、それはいいものができますよ。プロに頼めば素晴らしい仕上がりになるし、高価な工作機械を使えば精度も出る。そんなことは分かっています。

    でもね、「それ、本当にそのレベルが必要ですか?」という話なんです。
    世の中、無駄な機能がてんこ盛りなんですよ。

    10万円のスマホで、SNSしかしない矛盾

    例えばスマホ。私はAI活用講座の講師もやっていますが、受講生の方々を見ると、私よりよっぽど高機能な最新機種を持っていたりします。私は1万、2万の格安レベルですよ。今の時代、その価格帯でも性能は十分、何不自由なく動きますから。

    なのに、皆さん平気で10万、20万出す。それで何に使っているんですかと聞けば、SNSや動画視聴だったりする。だったら、そんな超高性能な機能、本当に要るんですか?

    DIYの分野でも同じことが言えます。業者に頼めば、確かに綺麗で早いでしょう。でも、自分が必要な機能だけに絞って、自分で手を動かせば1万、2万円で片付く話なんです。それをわざわざ10倍、100倍のお金を払ってやってもらう必要があるのか。

    「自分でやる」から、自由が手に入る

    世間では「お金が足りない、足りない」と嘆く声をよく聞きます。でも、その一方で過剰なサービスやブランドに依存して、自分でできることまで人任せにしている。それではお金が残らないのは当たり前ですよね。

    私が今、こうしてFIREという状態で自由に暮らせているのは、見栄を張らず、必要なものを必要な分だけ、自分の手で作ってきたからです。

    何でもかんでも「最高」を求めるんじゃなくて、自分にとっての「最適」を見極める。そして、足りない部分は自分の知恵と技術で補う。

    この「自分の手を汚す」ことを厭わない姿勢こそが、組織のレールから降りて、自分の足で生きていくための唯一の武器になるんだと、私は確信しています。

  • 「ルールの外側」にある日常

    「ルールの外側」にある日常

    さて、最後は「格闘技」について。誤解のないように言っておきますが、私は格闘技を全く否定していません。実際にお付き合いのある選手たちのレベルの高さ、あの「レベチ」な身体能力には、心からリスペクトを置いています。

    ただ、格闘技というのはあくまで「ルールがある世界」の話だという認識を、私たちは持っておく必要があります。

    「最適化」された限定的な勝利

    ボクシングならパンチだけ、1対1、決められた時間。その枠組みの中でどう勝利するかを極限まで突き詰めた結果が、あの素晴らしい技術なわけです。

    でも、武術にはルールがありません。闇討ちもあり、多人数もあり、武器もあり。対して、格闘技はルール以外のことをすれば「反則」になる。ここが決定的な違いです。

    私が格闘技のリングに飛び込んだら、間違いなく瞬殺される雑魚でしょう。
    けれど、日常生活においてその「強さ」が必要かと言われれば、私の目的には合致しないんです。

    「相手を倒すため」ではなく「自分を整えるため」

    今の社会、気に入らないからといって殴りかかるなんてことは許されません。そんな世界で、相手を叩きのめす技術を真剣に追い求めることに、私はあまり価値を感じない。それは私が定義する「強さ」ではないからです。

    ただ、稽古の中でパンチを打ったり、格闘技的な動きを確認したりすることはあります。でもそれは、相手を倒すためじゃない。

    自分の姿勢が崩れていないか、状態が整っているか。それを検証するための「テスト項目」として、格闘技の要素を使わせてもらっている。そんな感覚なんです。

    効果的な打撃が打てないということは、自分の身体操作に不備があるということ。そのバグを見つけるための「デバッグ作業」として、私は格闘技的な技術と向き合っています。

    目的はあくまで、日常を平穏に、自分の足で立ち続けること。 誰かと競い合う「最強」の称号よりも、自分の中の「最適」を淡々とメンテナンスしていく。

    これが、職人であり武術家である私の、格闘技に対するスタンスです。