組織の限界と「コロナ騒動」:安定の裏側に潜む違和感
所長としてのキャリアも長くなり、現場のオペレーションは完全に掌握していました。 自分で仕組みを決め、自分が現場を100%把握している。この「自分がコントロールできている」という感覚は、かつてドロップアウトを繰り返していた頃には想像もできないほど、自由で、恵まれたものでした。
もちろん、組織特有のしがらみはあります。でも、好き勝手やらせてもらっている。 「100%完璧な環境なんてない。今の自分は、十分に恵まれているんだ」 そう自分に言い聞かせ、組織の一員としての自分と、職人としての自分を折り合わせて、それなりに納得して生きていました。
「しかし、あの『コロナ騒動』がすべてを変えました。メディアが煽る恐怖に、世の中が、そして組織が、なだれを打って飲み込まれていったんです」
連日のようにテレビが流す「世界が終わる」かのような報道。 理屈で考えれば、あるいは現場の物理的な事実を積み上げれば、どこかおかしいと気づけるはずなのに、世の中の大半の人はメディアの言葉に感化され、思考を停止させていきました。
私がこれまで磨いてきた「技術」や「理論」、そして「理屈で納得して動く」という姿勢。 それが、感情的なパニックに支配された社会や組織の中では、何の役にも立たないどころか、むしろ「異分子」として扱われ始める……。そんな不気味な予感がありました。
「正気でいることが、これほどまでに難しいのか」 狂騒に沸く世間を冷めた目で見つめながら、私は確信しました。 どんなに恵まれた現場であっても、最後に自分を守ってくれるのは組織ではない。 自分の頭で考え、自分の足で立つ、真の「自立」が必要な時が来たのだと。
このコロナ禍での違和感が、私を最終的な「FIRE(早期リタイア)」へと押し出す決定打となりました。 組織という安全な檻から飛び出し、完全なる自由へと足を踏み出した決断。 その最後のお話をしましょう。
