「学ぶ」とはこういうことか:大工修行で知った身体的歓喜
職業訓練校というのは、不思議な場所でした。 高校に行けず親に連れてこられた少年、将来を見据えた若者、そして私のように会社倒産で滑り込んだ人間や、雇用保険の延長が目的の中高年。多種多様な背景を持つ人々が、同じ作業台に向かっていました。
カリキュラムは、徹底的に「基本の基本」から始まります。正直、現場経験のあった私からすれば「そんなの知ってるよ」と思うこともありましたが、個別の対応なんてありません。実務で1ヶ月あれば覚える内容を、1年かけてじっくりやる。それが訓練校という場所です。
しかし、ここで私は人生で初めての感覚を味わうことになります。
「学生時代の勉強は、あんなに苦痛で、あんなに退屈だったのに。……道具を研ぎ、木を削ることが、どうしてこんなに楽しいのか」
授業が終わる4時や5時になっても、私は帰りませんでした。土日も返上して、ひたすら「鑿(のみ)」を研ぎ、カンナの刃を調整する。 昨日まで研げなかった刃が、今日は研げるようになる。研ぎ澄まされた刃で木を削れば、鏡のような光沢を放つ面が現れる。
自分の上達が、目に見えて、手に触れられる。 抽象的な数式や、使いもしない外国語とは違う。物理的な手応えを伴う「学び」に、私は時間を忘れて没頭しました。
「自分がどんどん上達していくのがわかる」
このシンプルで、しかし強烈な成功体験が、どん底にいた私の魂を癒し、立て直してくれました。 社会のレールから外れた恐怖を、木の香りと刃物の冷たさがかき消してくれたんです。
大工仕事の本質は、嘘がつけないことです。 いい加減な仕事をすれば、形にならない。逆に、真摯に向き合えば木は応えてくれる。 この時期に没頭した「道具との対話」が、後に電験三種のような難関資格に挑む際にも、あるいは武術の理を解明する際にも、私の根底を支える哲学となりました。
こうして夢中で過ごした1年間。卒業が近づく頃、私には思いもよらない「オファー」が届くことになります。
