「理想の人生」という名の絶望について
私がホームレスになった時の、そもそもの発端の話です。 実は私は学生時代、不運にも交通事故に遭いました。長引く松葉杖生活を強いられ、身体の自由が利かないまま浪人生活を送り、ようやくの思いで国立大学へと進学したんです。
しかし、苦労して入った大学の授業には、1ミリも興味が持てませんでした。 特にドイツ語とかね。いや、いつ使うんですかと。 事故や浪人という代償を払ってまで手に入れた場所が、自分の貴重な時間やエネルギーを注ぎ込む価値のないものに見えて仕方がなかったんです。
「自分が興味のあることを探究する場所」だと思っていたのに、実態はただの単位取りゲーム。 周りの連中を見ても、「あの先生の授業は単位が取りやすい」とか、そんな基準で授業を選んでいる。国立大学と言ったって、結局はそのレベルなんです。
当時は、尾崎豊の『17歳の地図』の歌詞にあるような、「何のために生きているのか解らない」という漠然とした、それでいて逃げ場のない焦燥感の中にいました。 これをあと3年も続けるのか、それを終えた先に何があるのかと考えたら、もう絶望しかなかったわけです。
後になって、当時ベストセラーだった『完全自殺マニュアル』という本を手に取ったとき、そこに書かれていたこの一節を読んで衝撃を受けました。「だよねぇ……」と。 学生時代に自分が感じていた、あの正体不明の「無意味さ」を代弁してくれているかのような言葉でした。
「働いて、働いて、じゃあその先に何があるんですか? いずれ死ぬだけじゃないですか」 事故で身体を壊し、必死で勉強してレールに戻った結果がこれなのか、という虚しさ。社会のレールの上を歩んでいるうちは気づかない。でも、一度気づいてしまった人間にとっては、これほど恐ろしいことはない。
同級生たちが学生生活を謳歌している横で、交通事故の後遺症を抱えた私は、その輪に入ることもできず、ただただ尾崎が歌ったような「出口のない孤独」と向き合っていました。
もともと人付き合いも上手くないし、好きでもない。 今、こうしてFIREして一人でいても、寂しいどころか「やれやれ、せいせいした」と思っているような人間ですからね。
そんな冷めた視線を持った若造が、どうやってレールの外側へ転げ落ちていったのか。 少し長くなったので、ホームレス生活の実態については、また次回書こうと思います。
